ひとつひとつ、歩いていく
レディースホリデーが明けて、
3日ぶりにマットの上に立った朝。
今日は首や肩の調子も良くて、
ひとつひとつの動きを丁寧に味わえる、集中した練習ができた。
呼吸を感じながら動くのって気持ちいい。
休んだからこそより、その感覚がしみじみ感じられた。
やっぱり私はアシュタンガヨガの練習が大好きだ。
まだ本調子とは言えないけれど、
それでも、今日の自分を大切に扱いながら動けたことは無理を手放す練習が、少しずつ身についてきた証のように感じた。
ヨガをしていると、自分の内側の声がよく聞こえる。
少しの違和感も、ちょっとした心の波も、まるごと感じながら向き合う時間。
そんなふうに、自分と対話するような感覚を、
先日山に登ったときにも、ふと感じた。
日曜日の朝
comomentという、山登り初心者にもやさしいコミュニティのイベントに参加させてもらって、はじめて、雪が残る山を登りました。
何歳になってもワクワクすることにはチャレンジしていきたいと思う。
ところどころ滑りそうになる道で、
慣れている方がさっと手を差し出してくれたり、
「これ使いますか?」とアイゼン(靴に装着するスパイク)を貸してくださったり。
自然の中で、あたりまえみたいに助け合える空気が、なんだかとても心地よかった。
足元ばかり見つめて歩いていたのに、
ふと顔を上げた瞬間に広がる景色はとても美しかった。
自然の大きさと、その中にぽつんと立っている自分が、不思議とつながっているような感覚。
自然の中にいて、誰かと歩いて、
黙っていても伝わるやさしさに触れて。
何か大げさなことをしなくても、すごく満たされた気持ちになる時間が、ちゃんとそこにあった。
山を下りたあとも、あの景色や、誰かのやさしい声が、ぽつぽつと思い出される。
「このへん、滑るかもしれません」
「ここ、いい写真撮れそうですよ」
「ちょっと休憩しましょうか」
どれも特別な言葉じゃないけれど、
そういうひと言のあたたかさって、じんわりと心に残る。
気づけば、ひとりで歩いていたようで、ちゃんと誰かと歩いていたんだな、って思う。
自然の中にいると、
自分が「何者か」であろうとする必要がなくなる。
ただ、歩いて、感じて、息をしているだけで、もう十分。
そんな自分をそのまま受け入れてくれるのが、自然なんだと思う。
そして、人と人のつながりも、
無理に近づかなくても、気をつかいすぎなくても、
隣で同じ景色を見ているだけで、なんだかほっとする。
それだけで、つながっているって思えることがある。
ヨガの練習でも、自然の中でも、
私はそうやって、自分に還る時間をもらっているのかもしれない。
また登りたいな、と思った。
また会いたいな、と思う人たちがいた。
自然の中で、肩の力を抜いて歩けたこと。
誰かと歩く心地よさを思い出せたこと。
どちらも、わたしにとって大事な宝物。
そんな時間をこれからも大切にしていきたい。
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