2026.4.5(日)当たり前になっていたプラクティスの恩恵
昨日は土曜日で、練習はお休みの日。
日曜日、まだ時差ボケもあって、いつもなら4時に起きるところを、6時に起床。
早めに寝たはずなのに途中で起きたり、少し長く眠れたはずなのに、どこかスッキリしない感覚が残っていました。
インドにいたときは、シャラがお休みの日には無理に練習はせず、
そのリズムに身を任せて過ごしていました。
だからこそ、自然と「今日も休もうかな」
そんな気持ちも浮かんできた。
けれど同時に、練習をしなかった昨日の睡眠の質があまり良くなかったことを思い出した。すると、自然とマットを引いていた。
セルフプラクティス開始。
普段、当たり前のように続けている練習。
続けていると、それがどんな影響をもたらしているのか、つい見えにくくなってしまう。
ちゃんと眠れること。
朝、体が軽いこと。
呼吸が深く、穏やかであること。
それらは特別なことではなく、「いつもの状態」になっていくから。
でも、練習をしない日があると、
その“当たり前”が揺らぐ。
そしてそのときに初めて、
「あぁ、あれは恩恵だったんだな」と気づくことがある。
それは、体の軽さだけではなく、
胃腸の調子や、食事への意識。
何をどれくらい食べたいのか、体がちゃんと教えてくれる感覚。
そういった繊細な感覚も、
日々のプラクティスによって整えられているのだと感じる。
この日は時間の都合もあり、ハーフプライマリーまで。
それでも、十分だった。
体の内側にシャワーを当てたような内側のスッキリ感。
「やっぱり、やってよかったな」
そう思った。
特別なことをしたわけではないけれど、
こういう小さな積み重ねが、日々の質を変えてくれる。
当たり前になっていたインドの日常から別れを告げた時の空港からの夕日。↓
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