お団子🍡問題
ここ数日は朝の練習の中で、「見ているもの」と「見られているもの」を意識しながらプラクティスをしていました。
ヨガでは、動いている体や揺れ動くマインド、次々と浮かぶ思考は「見られているもの」であり、それらを静かに見ている完璧な存在こそが本来の自己であると説かれます。
アシュタンガヨガの練習では、体や思考に無意識に引っ張られるのではなく、「見ている側」が操縦席に座る感覚が自然と育ってゆくようにシステム化されているのだなというのを最近は感じています。
呼吸を軸にしながら、体を意識的に使い、マインドを“今必要なこと”へ戻していく。
その積み重ねの中で、自分のマインドがどれほど自然に外側へ流れていくのか、
そして、自分一人の力だけでコントロールできることがいかに限られているのかにも気づかされます。
だからこそ、呼吸の力を借りること。
つまり、人や自然、この世界に存在するあらゆるもの達と助け合いながら生きているということがより見えてくる。
マインドもまた、誰かの存在によって温かさを取り戻したり、静けさを思い出したりするもの。
余談ですが、最近髪が伸びてきて、お団子にして練習しているのですが、終わる頃には毎回かなりボサボサになります。笑
長年「どうしてこんなに崩れるんだろう」と思っていたのですが、最近になってようやく、
“髪が崩れないように動く”という意識が自分にはほとんどなかったことに気づきました。
体の使い方には意識を向けていても、
「練習中なるべく無駄な動きを入れないこと」を優先していたため、髪型は完全に後回しだったようです。笑
けれど、それもまた面白い発見で、
“髪を崩さないように動く”ということも、繊細に身体を扱う感覚を育てる練習になるのだと、7年目にして学んでいます。
だからこそ、練習は奥深く、
続けるほどに、自分自身への理解が少しずつ深まっていくのだと思います。
インドで気に入って食べていたもちもち食感の蒸しパン、イドリー↓
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